夏秋レイ*使者の日記

ヒーリングフォトアート作家、童話作家、歌い手、ヒプノセラピスト、ペットロスセラピスト、ヒーラー&天の使者Rei(夏秋レイ)です。日常の断片を綴っています

母親の逝去とその後のアレコレ

あっという間に前の記事から一ヶ月以上経ってしまいました。

 

じつは彼岸の入り、9/19に母親が急逝し、前の日の夜中から14時間飲まず食わずで病院から霊柩車に一緒に乗りながら戻り、連休(19,20,21)の仕事を終えて、秋分(お中日)に告別式を済ませました。

自分の住む県の病院は悉く断られ、お隣富士見のサナトリウムとして知られるホスピタリティあふれる病院に漸くお世話になることができたという、辿々しい午前中の救急搬送の折には重たるい雨が降り続いていたのに、病院を出る時にはほんとうにダイナミックな澄み渡る快晴となっており、うわ…こういうさいごも、やっぱり母親らしいなぁ~と思いました♡

棺にずっと寄り添っていたのですっかり忘れておりましたが、車中からでもその大胆で賑やかな空を撮っておけば良かったワー。

FBの写真家のお友達がよくこの辺り――甲斐から信濃辺境――の風景を収めておられ、そのなかにも魚や龍の姿が雲となって居るのを見ておりましたが、この日も雨続きのこの頃はどこへやら、久々に聳え立つ急峻な3000m級の山々――南アルプス八ヶ岳、奥秩父などの屋根――のうえを舞う、長々し尾をなびかす鳳凰やら、鳳凰~(羽根付き)蛇との中間体のようなもの――グリフォンワイバーンちっく――や、麒麟(?長い首だが蛇行してなく比較的真っ直ぐ目 笑)、などの伝説チックな瑞姿が空一杯で、晴れ間に屹立する、じつにさわやかな富士のシンメトリにも、みごと相対しておりました♡

そしてそれらの足下に、あなめずらし、亀も何匹か居るというおめでたき具合。混合聖獣というのか霊鳥群というのか、圧巻な不思議さにみちておりました♡ 苦笑)

私事では、母の死から急展開で、フリースクールを兄と立ち上げようかなどの人生の岐路らしき案も出たりして、それからHP作りに取りかかるなど、なんだか大忙しの日々…。

編集者さんとのやりとりでは、ペンネーム(すくなくとも妙は必要)を考える・長い題名 をしぼる(or全く別なものを考え出す)・後書きを考える・最近気付いた脚注の必要な件については、恩師とも相談するなどしてそれを処理・カヴァー写真に使うものを選びアレンジするなどなど課題が有り♪

 

併行して用事が出て来ているので、愉しみながら片付けましょう♡というところです!

 

ところで、これらと殆ど関係ない余談ですが

最近ひょんなことで、古代エトルリアのことに触れました。古代エトルリア人――小アジア(リディア辺り。現トルコの東欧に最も近い辺り)に住んでいた民族――が、イタリア中部(ウンブリア州に近いトスカーナ州ペルージャの辺り)に渡り定住したとされる民族――が非イタリア系の文明を展開したが次第にローマに吸収されていったとされる、という記事に触れ、

ふと二年半以上前に色々思うことが有り別の拙blogでも触れた、ピエロ・デラ・フランチェスカ(サンテポルクロに住んでいた中世の異色画家)のことが頭をよぎりました。

 

 

直観的にキリスト教徒でも異端だったが、その正統性や強い思念を自分の画に精一杯表現し託した人だと思え、印象に残っていました。

その記事を見てから、あーこの人ってもしかして古代エトルリアの系譜にあるの?とも思えてきたのです。

その訳は、まあ色々あるのですが(最も単純な話では、彼の描く聖母像は東洋的で弥勒菩薩阿弥陀如来のようであるとかね)、しかしこの記事に触れてから、ひょっとすると(いま、たまたま日本でも日ユ同祖論などがかまびすしいようですが)古代エトルリア人とは、例の古代イスラエルの失われた十支族(@全十二支族)にもつながっているのでは?と思われて来、同時にこの画家がその二つで一つの要素を満たすのかも知れない、と思えてきたのでした。とくにつながっている(ことを画家自身が強調したかった)のは、十二支族のうちルベン族とガド族と思われています。

古代イスラエル十二支族にかんしては、紋章などもいろいろなブログやサイトで出回って居り、私も拝見しましたが、彼の絵画のなかの印象的な像に合致するわけです。。。もちろん画家というのは時代をはるか遡ってもリアリティを保てるほどの精緻な時代考証をするものでしょうし、彼以前・以外の画家の作品にも構図の中にそうした物象(同支族に繋がる物象)を配置しているものはあります。が、たんにそうした当時の民族的慣習だの時代考証性を満たす図像というにしては、あまりに大胆な効果、むしろこれらの存在や属性を誇示したとも言えるほどの効果を及ぼしているのを見るにつけても、考証の精確さやら彼の冷徹且つ卓越した表現力、に帰するだけでは足りぬ、訴えともとれるアピール性を見いださざるを得ないと思えています。

 

勿論、昨今の研究で、画家ピエロには、すでにトートとヘルメス(メルクリウス>トリスメギストス)の時代に対する強い思念があったことが論証されてきているようです。そう、シュメール文明の流れ。

けれども、シュメール文明と同画家との関連が指摘されれば、他の文明とは無関係と言うことにはならないばかりか、もしかするとこれらの文明同士で繋がり合いや相通ずる流れが見えてくるかも知れない、とも思えてもくるので、これは部外者ながら、ちょっと温めてみようかな、と思った次第です。

とまれ 人生の転換期、とても忙しいので、折を見てとはあいなりますが…、このことは、もし今後の展開があれば雑記帳blogに少しずつ記していこうと思っています♪