夏秋レイ*使者の日記

ヒーリングフォトアート作家、童話作家、歌い手、ヒプノセラピスト、ペットロスセラピスト、ヒーラー&天の使者Rei(夏秋レイ)です。日常の断片を綴っています

天の使者の心がけと悩み

少し前の記事でのアースエンジェルについての話をしました。

アースエンジェルとはまるで天使のような、のではないということ。

かといって、所謂天使そのものなのかというと、少し役回りも違うのかなぁという印象です。かつては人間であったがいまでは天上にいたまま私たちとコンタクトをとっているアセンデッドマスターと同様、通常天使は天にいたまま地上の私たちに送受信します。が、転生のたび受肉する・身体をまとって地上に降りる――送還する――我々のような天の遣い(使い)も居るわけです。

 

ライトワーカーと言われる人々のうちに幾らかは含まれて居るであろう、こういう「遣い」的な存在たちには、独特の心構えへの要求があり、また苦悩が存在するように思います。

 

あなたがあなたの道を渡るすべての人に開かれ、親切であることを望み、誰もが時々助けの手を必要とすることを覚えているので、たとえそれがわずかな方法であっても、今すぐ他の誰かが必要とする助けになります。

https://ja.bestvashikaranastrologer.com/angel-number-2013-meaning

 

あなたの周りの人々を見て、あなたが近くにいる人々を助ける方法を見つけることができるかどうか確かめることを望んでいます。 みんなを助ける方法を見つけることはあなたと彼らの人生の両方をより良い時代に押し上げるので、できる限りそれを大事にしてください。

https://ja.bestvashikaranastrologer.com/angel-number-2027-meaning

 


と言うような導きが頻繁にある、という人々はライトワーカーであるばかりでなく、しばしば天の使いではないかと思われます。

こういう場合、おそらく絶えず、人間関係にバランスをとるよう要求されていると思われます。人と話し、悩んでいる際には助けてさしあげる際、どれかの人間関係のみに(愛情の傾注という面で)深入りするとそれは「迷い」に入ったこととなります。

バランスを大切にすることというメッセージが降りてきた場合には注意してください。

全てにおいてバランスをとること
それを可能な限り続けることができるかどうかを確認すること
精神的にも感情的にも良い場所に滞在するために‥

こういった内容のメッセージが降りることがありますので、
人生上の何か派生的に起こる事象や出会う人々のうちの、何か(or誰かとの関係)に、あまりに突出し重点的に関わっていくことは しばしば誤りとなる、そういう構造のなかに、使者たちは居るといえるように思います。

なかには、自分には人を仕合わせにする役目があるが、自分自身の結婚には恵まれていない、という感情を持つ人も居られるでしょう。

 

 

使者が、肉を以て生まれて来るということ‥‥。

 

私の場合について少しいいます。

実は私は今生、降りてくるのをずいぶん迷ったのだ、と知らされました。


これまでの、長い私の代々の転生には、非常に苦労が多く、地球はあなたに迷惑をかけてきた。であるからその代償に今生、あなたが幸せになれるように、神的領域がバックアップをする という態勢とコンセプトがあったらしいです。

ただ、仕合わせになる、の「そこ」――すなわち、うまく行く恋愛と結婚――に、ミッションはなかったのです(自分の場合)。ミッションやブループリントのなかにない幸運を得ようともがいても、成就するには非常に過酷な経路をたどりがち――自分自身の成長(という仕合わせ)の方を優先せざるを得ない局面もある――かもしれません。不可能ではないとも言えるかもしれませんが。今の私にはまだわかりません。

私のツインフレームたちも、ほぼ同様でありたとえば兄も生涯独身です。

かなり若い時分に、自分は結婚は出来ないと悟ったようです。

これについて、なんでオレはそうなっているんだ?と問いかけるとき、自己(セルフ)ではない自我(エゴ)が、むき出しのまま神と対峙してしまうことになり、この呪縛から逃れられずに苦しむのは結局己自身であり自分の人生です。

使命と恵みの意味を、他者の仕合わせを巻き込む形に、変換していくと、充実を感じられること=よいことが待っているでしょう。

こうして、この点(個人的なパートナーシップ)においても幸せをつかんだ人――好い結婚をし、可愛いくて仕方の無い娘さんを持ち、sweetな家庭を営んでいる、といえるツインフレーム――は、私の周りでは、1人います。

他の形や条件で、恵まれている側面がおそらくそれぞれ多分に有り、この恵みについて感謝し、深く思いを致しているとよいのでしょう。

某かを奪う形というのは、やはり避けたいものです。。。

 

ツインフレームの一人は、どうもオレは「天上界の住人を人として生かす」のが自分のカルマな気がしてならない、と言っていました。

じっさい、他者をおもんぱかるあまり、自分自身の人としての生かし方が下手で、守護天使などから、自分を大事にしなさい・自己愛は大事ですよ、としばしば諭されがちな人が、ライトワーカーやアースエンジェルには(私自身を含め)居ます。

ということは、受肉したからには肉として身体として心身としての幸福を追求する権利も、予め奪われているとばかりは言えないのかもしれません。

(もちろん、この言葉の含みは、こうした意味ばかりではありませんが。人間として生まれて来た以上、重大なひとつとして。)

いずれにしても、辛抱強さというものは必要です‥‥。笑)